まちかど展示館 エリア特集

月島エリア特集 Part.3 江戸時代から進化し続ける、懐かしさと先進性のまち-佃・勝どき・晴海月島エリア特集 Part.3 江戸時代から進化し続ける、懐かしさと先進性のまち-佃・勝どき・晴海

勝どき・豊海歴史資料展示館

時代とともに変化するまちで、変わらぬ江戸の伝統美と粋を伝える。。

彫刻も金具も、日本の伝統装飾技法の粋を集めた「二号地大神輿」。

流麗な屋根や担ぎ棒先端の金具装飾も見事な子若神輿。

大神輿や子神輿にも掲げられる「二号地」の駒札。

中神輿にも神輿師、浅子周慶の名は掲げられている。

①勝どき2丁目にあった旧御旅所。住吉神社御旅所/昭和50(1975)年*
②毎月第2土・日曜日、月島第二児童公園で開かれる「太陽のマルシェ」。
③小さいが清々しい雰囲気が漂う現在の御旅所は勝どき4丁目に。
④現在の勝どき4丁目一帯の大きな工場。小幡亜鉛鍍金工場第二工場/昭和32(1957)年*
⑤豊海から勝どき5丁目方面を望む/昭和54(1979)年* 

*写真提供:中央区立京橋図書館

― 神輿が掲げる「二号地」とは?
これは、明治20(1887)年からはじまった東京湾埋め立ての二番目の地区のことで、現在の勝どき1丁目から4丁目にあたります。今では「二号地」だけが祭りの時の区割りとして、残っています。二号地神輿の特徴は、大、中、小全ての神輿が塗りではなく、白木でつくられていることですね。豪華で細やかな装飾は、全て職人による手彫りなんです。神輿師は第14代浅子周慶で、室町時代から500余年も続いた名門です。神輿が奉納されたのは昭和10(1935)年ですから、もう90年が経ちますが、状態はいいですね。大祭が済むたびに解体して乾燥させてますから。修繕には4ヶ月もかかるんですよ。
― 御旅所とはどんなところですか?
佃の住吉神社の分社のことです。大祭の時には宮神輿が地域を渡御して、御旅所に一泊してから戻るんです。建立されたのは明治34(1901)年で、昭和59(1984)年に今の所に移転しました。それまでは清澄通りを挟んで、展示館と反対側の勝どき2丁目にあったんですよ。勝どき・豊海地区というのは、工場や倉庫と、そこで働く人たちの住宅などが混然として発達し、今は再開発で高層マンションが立ち並んで、変化し続けています。まちは時代とともに変わってきましたが、いつの時代も変わらない地域のシンボルとして、神輿や御旅所を大切に守っていきたいですね。
私も子どもの頃には小さい神輿を担いでいましたよ

お話を伺った方勝どき・豊海連合町会 会長
宮森 孝一さん

勝どき・豊海歴史資料展示館

管理者:勝どき・豊海連合町会(平成25年度認定)
東京都中央区勝どき1-9-8 月島第二児童公園内
03-3546-5346 中央区区民部文化・生涯学習課内
月~金曜日(祝日・年末年始等を除く)9:00〜17:00 
開館日:土・日曜日
開館時間:10:00〜16:00
最寄り駅:勝どき駅A4a番出口 徒歩1分
※臨時休館や開館時間の変更を行う場合があります。
詳しくはお問い合わせください。

TOP