まちかど展示館 エリア特集

月島エリア特集 Part.3 江戸時代から進化し続ける、懐かしさと先進性のまち-佃・勝どき・晴海月島エリア特集 Part.3 江戸時代から進化し続ける、懐かしさと先進性のまち-佃・勝どき・晴海

佃まちかど展示館

下町情緒漂うまちの誇りは、佃小橋の先に鎮座する圧巻の千貫神輿。

上)東京で一番大きいといわれ、別名「千貫神輿」の圧倒的な貫禄。
左)「佃」をさりげなく主張する粋な意匠の瓔珞。

佃町内を練り歩く大神輿。
担ぎ手の鉢巻に揃衣(そろい)が粋!*

今も昔も変わらぬ祭りの熱気。
左奥に八角形の宮神輿が。*

「龍虎」は二本角の「龍頭」と大きな耳の「虎頭」が対に。※

獅子頭には希少な黒漆の「黒駒」。頭頂に一本の角がある方が雄。※

※獅子頭は三が日及び住吉神社例祭の陰祭の時期を除きパネルでの展示となります。

先頭で獅子頭を元気に担ぐのは13歳の金子さん。*

獅子頭は巡行の後「獅子の庭」という
葦簀張りの小屋に安置される。*

上)大幟と赤い鳥居を過ぎ、船渡御に向かう宮神輿。*
下)大幟の18メートルの柱と柱を支える抱木6組の保管場所は佃堀の川底。

立札からも佃の祭りの伝統が伝わってくる。

*写真提供:金子行雄さん

― 佃の宮元神輿の特徴は?
とにかく、デカくて重いことだよ(笑)。佃で生まれ育って、この神輿しか知らない子どもが、ある時ほかのまちの神輿を見て「これは子ども神輿?」って聞いたぐらいですよ。もとは終戦後に千葉の寒川神社の宮神輿として新調されたんですが、あまりの重さに200人の怪我人を出したというエピソードがあって。その大きさと重量のためにその後、人形町末廣神社を経て、昭和34(1959)年に佃住吉講が譲り受けたんですよ。で、担ぎ棒があまりに長く、狭い佃のまちでは角が曲がりきれないので、短く切ったんです。それと堂を囲う飾りの瓔珞には「佃」の文字が入っているのもポイントです。
― 獅子頭の伝説とは?
文政年間(1818年〜1830年)につくられたと言われる「龍虎」と「黒駒」という二対の獅子頭にはいくつかの口伝があって。例えば「黒駒」は昔、漆塗りの品質を調べるため、熱湯に浸したけど塗りは全く剥げなかったとか。また「龍虎」は佃が江戸の大火の延焼の危機に晒された時、龍頭は水を、虎頭は砂を吐いて、火を消したと言い伝えられています。関東大震災や戦災でも大きな被害が出なかったのは獅子のお陰だったという人もいましたよ。佃には、ほかにも三対の獅子があり、これは大祭の際、宮神輿の渡御の前日に巡幸路の邪気を祓うために巡行するんです。
獅子頭の宮出しも迫力があって見応えがありますよ

お話を伺った方佃一丁目町会(佃住吉講)
金子 行雄さん

佃まちかど展示館

管理者:佃一丁目町会(平成23年度認定)
東京都中央区佃1-2-10先
03-3546-5346 中央区区民部文化・生涯学習課内
月~金曜日(祝日・年末年始等を除く)9:00〜17:00 
開館日:通年
開館時間:常時開館
最寄り駅:月島駅6番出口徒歩5分
※臨時休館や開館時間の変更を行う場合があります。
詳しくはお問い合わせください。

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