まちかど展示館

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足袋の博物館管理者:有限会社 大野屋總本店(平成23年度認定)

足元に宿る日本の美意識を探る

地域が取り持つ歌舞伎役者との縁

安永年間(1772~1781年)に創業し、足袋をつくり続ける「大野屋総本店」に、さまざまな足袋が見られる『足袋の博物館』が設けられています。
「大野屋総本店」は地下鉄新富町駅近く。新富橋交差点の角にありますが、国登録有形文化財で、大正末期に建てられた風情ある木造建築がひと際目を惹きます。2階の作業場にミシンを置くために鉄骨補強しているそうです。
「ウチはもともと三田で装束の店を営んでいましたが、嘉永2年(1849年)ここに移転し、代々足袋をつくってきました。新富町には明治5年に新富座、22年には東銀座に歌舞伎座ができて以来、歌舞伎役者や舞踏家、能役者などの多くの役者さんたちにご贔屓にして頂いています」
と七代目主人福島茂雄さんはいいます。

助六の黄色い足袋の秘密

展示ケースは御蔵島産の希少な桑の木を使い、指物師がつくったもの。中には歌舞伎を中心に、狂言や雅楽などで使用される足袋、製作の機具などが陳列されています。鹿革の革足袋は木綿製の足袋が普及する以前に使われていました。明治時代中期に鞐(コハゼ)が一般化するまでの紐足袋(足袋の上部に付けられた紐を足に巻いて結び、固定する)。さらに下沓(しとうず)という古代から皇族や神社で用いられたもので、沓(くつ)を履くときの指先が丸くなった足袋もあり、足袋の歴史もわかります。
ケースの中でひと際目立っていたのは黄色い足袋。これは市川海老蔵さんが「助六」の舞台で使用するものと同じ足袋だそうです。普通の足袋とは違い甲の部分がえぐられるように大胆にカットされ、足が細く綺麗に見えるばかりでなく、足袋そのものも美しく映えていました。

新富で生まれた独自の形

店内にかかった暖簾には「舞えば足もと、語れば目もと、足袋は大野屋新富形」と染められていました。これは五代目店主が考案した「新富形」という足袋を売り出した際のキャッチフレーズです。新富形は「底の幅を狭くして、表の生地はたっぷりとって足の甲を包み込むことで、足をより細く見せ、舞台でも足幅が綺麗に見えるようにしているのです」。これが「大野屋総本店」の足袋が、いつまでも歌舞伎役者や舞踊家に愛用されていることの証なのでしょう。

お話を伺った方

代表取締役福島 茂雄さん

■展示館インフォメーション
足袋の博物館管理者:有限会社 大野屋總本店(平成23年度認定)
住所 東京都中央区新富2-2-1地図 開館日 月〜金曜日(祝日・年末年始等を除く)
電話 03-3551-0896 開館時間 9:00〜17:00
HP https://www.oonoyasohonten.jp/ 最寄り駅 新富町駅2番出口 徒歩1分
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