まちかど展示館 エリア特集

【連載 第六回】中央区 食の痕跡、絵画の道楽

下り酒と新川の賑わい

すしに蕎麦、鰻に天麩羅、酒に珈琲、すき焼きにカレー、飴にあんみつ…中央区には江戸から今に至る食の痕跡がたくさん散らばっています。浮世絵や日本画、洋画などアートの世界にヒントを得ながら、食の痕跡を追いかけ、絵画の道楽も満喫してみませんか。

①江戸乃華名勝会 新川酒の入舟 喜多八 歌川豊国(3代目) 1863年

江戸の人々が愛した下り酒

川べりに蔵が立ち並び、何かの船が往来する新川の風景と市川小団次が扮する喜多八の姿。江戸らしい風景とちょっとコミカルな男の様子が愉快です。「江戸の華名勝会」は、江戸の名勝図と歌舞伎役者を組み合わせた「貼交絵(はりまぜえ)」のシリーズもの。役者絵を得意とした豊国が中心となって制作され、この「新川酒の入舟」では風景を葛飾為斎(いさい)が手がけました。
新川は日本橋川と並行して流れていた亀島川の支流で、現在の中央区新川一丁目あたりに流れていた川です。昭和 23年、戦災焦土処理 のため埋め立てられました。江戸時代、ここには酒問屋の蔵が立ち並び、それは賑やかだったそうです。灘や伊丹など上方で作られた「下り酒」は樽廻船(たるかいせん)で江戸に運ばれました。品川沖に到着すると、小形船に積み替えられ、多くがここ新川の酒問屋に収められたのです。この絵でも酒樽がうず高く積まれているのはそういうわけですが、酒名として「名勝江戸の花」とあるのは絵のシリーズ名にあやかってのことでしょう。

②『江戸名所図会』2巻より 「新川 酒問屋」
斎藤長秋編 長谷川雪旦画 天保5~7(1834~36)年刊
酒樽を積んだ船が川べりにつく様子が描かれている。酒問屋の前に大勢の人が集まり、樽酒を囲みながら酒を飲んでいる一団もある。

③教訓親の目鑑 「俗ニ云ばくれん」
喜多川歌麿 1802(享和2)年頃
着物をよく見ると銘酒の紋が。右肩のあたりには菊型の「紙屋ノキク」、二の腕のすぐ上あたりに梅の花状に7つの丸が並ぶ「七ツムスメ」、その少し下には楕円の中に酒名「男山」。着物いっぱいに銘酒の紋が散りばめられている。

現在の新川大神宮。奉献された酒樽が並んでいる。
所在地:東京都中央区新川一丁目8番17号

1657年にこの地に建てられた新川大神宮は酒問屋の守護神として崇められてきました。 毎年11月頃、上方より新酒が到着するとまずは神前に献じられたといいます。江戸の人たちにとって新酒の到着は待ちに待った華やかな年中行事の一つでした。大神宮は戦災により社殿消失となりますが、1952年に酒問屋の有志で再建され、現在も同地では江戸からの酒の地「新川」という伝統を守り続けているのです。
下り酒は摂泉十二郷、現在の大阪、兵庫周辺で作られ、特に伊丹や灘には名の知れた蔵元が多くありました。良質な米、酒造りに適した水で作られた酒は旨味があって喉越しも最高だったとか。絶大な人気を誇った下り酒は年間100万樽以上、江戸に運ばれることもあったのです。 歌麿が描く「教訓親の目鑑(めがね)俗二云ばくれん」 にも江戸っ子の下り酒への愛着が滲みます。この絵は「こんな娘に育てないように」という教訓もののシリーズの1枚。「ばくれん」とは、「すれっからし」の意です。肌を露(あら)わに蟹を手に握り、ギヤマンと呼ばれるガラスの杯であっけらかんと酒を飲む女。彼女の着物の柄をよく見ると、 剣菱、男山、七つむすめなど下り酒の銘酒の文様が描かれています。お酒を飲むならやっぱり下り酒。ここにもそんな江戸っ子の美意識が垣間見えます。そんな下り酒の到着の地だった新川。酒問屋で賑わったこの地は、江戸の人たちが美酒に胸おどらす特別な場所だったのです。

画像提供:①中央区立京橋図書館 ②東京都立図書館 ③慶應義塾

林 綾野 キュレーター、アートライター

美術館での展覧会企画、美術書の執筆などを手掛ける。著作『画家の食卓』『浮世絵に見る江戸の食卓』など。今後の企画は、2024年4月13日〜6月2日岩手県立美術館にて開催予定の展覧会「堀内誠一絵の世界展」など。

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