まちかど展示館 エリア特集

【連載 第五回】中央区 食の痕跡、絵画の道楽

水天宮の賑わいと江戸前寿司

すしに蕎麦、鰻に天麩羅、酒に珈琲、すき焼きにカレー、飴にあんみつ…
中央区には江戸から今に至る食の痕跡がたくさん散らばっています。浮世絵や日本画、洋画などアートの世界にヒントを得ながら、食の痕跡を追いかけ、絵画の道楽も満喫してみませんか。

『東京名所之内 人形町通り水天宮』 歌川 広重(3代目) 1876年(明治9年)

水天宮-日本橋区蛎殻町
有馬邸内の水天宮社前
明治時代

明治に撮影された写真は当時の賑わいを伝える。屋台が並ぶ門前に多くの参拝客が行き交う。

画像提供:上下共中央区立京橋図書館

水天宮、変化しながら息づく街

 「水天宮」は元は筑後久留米にあり、1818年、久留米藩主の有馬頼徳が芝赤羽橋の上屋敷内に勧請して祀ったことに始まります。その後、青山に移転し、1872年に現在の場所に移されました。移転後はこの地で安産や子授けの ご利益がある神社として信仰を集めます。本来、藩邸内社の為、一般の人たちが参拝することはできませんでした。しかし毎月5日の縁日に一般に開放された為「なさけ有馬の水天宮」と言われ、多くの人々に親しまれるようになります。
 三代目歌川広重は、1876年(明治9年)、『東京名所之内  人形町通り水天宮』に水天宮門前の様子を描いています。2つの鳥居を構える参道に多くの人が行き交い賑やかな様子です。緑色の鳥居の左右に満開の桜の木が描かれていますので季節は春。傘をさしている人もおり小雨が降っているようです。三代目広重は初代広重の門人として幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師。東京の名勝や開港時の横浜の風景など、文明開化の社会事象を伝える絵を数多く描きました。ここでも多くの人は着物姿ですが、洋服を着て高帽子を被っている男性もいます。傘も和傘、洋傘が入り混じり、文明開化華やかしき頃の東京の風情が快活に描き出されています。

「㐂寿司」人形町に店を構え100年。江戸時代、仕事をほどこした魚介と酢飯とを用いた握り寿司が誕生。屋号は江戸前寿司の開祖とされる「与兵衛鮨」で修行した初代・油井㐂太郎の名前から。街に寄り添いながら江戸前寿司の老舗として変わらぬ味を守り続ける。水天宮から徒歩5分ほど。中央区日本橋人形町2丁目7−13(マップ参照)

お昼の「にぎり」は定番の8貫と巻物。玉子、車海老には芝海老のすり身を用いた「おぼろ」が挟まる。

四代目主人、油井一浩さん。この地で育ち街の変化を見つめてきた。「時代が変わっても、お客さんがお店に合わせてくれるんです。僕たちは何も変える必要がないんです」

 この辺りは江戸時代から現在まで社会の様相と共に様変わりしながら繁栄してきました。江戸開府直後、歌舞音曲の名人猿若勘三郎が開いた猿若座、後の中村座があったのもこの辺りです。歌舞伎だけでなく人形芝居や見世物の小屋も立ち並び、それに付随する手工芸、飲食業も発展しました。吉原があった時期、花街として知られた時期もあり、繁華街として常に人々が楽しみ、集う賑やかな場所なのです。
 この地で店を構えてから100年を迎えるという江戸前寿司の老舗「㐂寿司(きずし)」を訪ねました。創業は柳橋(現東日本橋)で、明治後期にまでさかのぼります。初代は江戸前鮨の開祖と言われる「与兵衛鮨(よへいずし)」で修業をした人物。1923年に現在の場所に移転しました。四代目主人、油井一浩さんにお店に集まる人たちがどのように変化してきたかうかがってみました。「40年くらい前は繊維業界の方々、20年くらい前は会社の役員の方々が多くいらっしゃいました。今は外国の方も多く、年齢層も幅広く、あらゆるジャンルの方々が来ますね」。江戸から明治、そして令和にいたるまで、水天宮界隈は時代の移ろいとともに変化を遂げながら、この浮世絵にも描かれるように常に活発に息づいてきたのです。

林 綾野 キュレーター、アートライター

美術館での展覧会企画、美術書の執筆などを手掛ける。著作『画家の食卓』『浮世絵に見る江戸の食卓』など。企画した「堀内誠一 子どもの世界」が福井県ふるさと文学館で開催中(9月18日まで)。「谷川俊太郎絵本★百貨展」が清須市はるひ美術館で(9月9日~11月26日)、「安野光雅展」があべのハルカス美術館で開催予定(9月16日~11月12日)。

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