まちかど展示館 エリア特集

【連載 第四回】中央区 食の痕跡、絵画の道楽

築地に佇む本願寺と魚河岸

すしに蕎麦、鰻に天麩羅、酒に珈琲、すき焼きにカレー、飴にあんみつ…中央区には江戸から今に至る食の痕跡がたくさん散らばっています。浮世絵や日本画、洋画などアートの世界にヒントを得ながら、食の痕跡を追いかけ、絵画の道楽も満喫してみませんか。

Ⓐ川瀬巴水 新東京百景 築地本願寺の夕月 1936年(昭和11年)
 画像提供:パブリックドメイン美術館

斬新な建築と魚河岸の移転

 白く月が輝く夜空のもと、異国の香り漂う建物が聳(そび)え建ちます。古代インド様式のこの建物は築地本願寺。月の光に照らされる荘厳な本堂は静かに佇み、乳母車を押す女性の姿も見えます。ひっそりと神秘的な風景は見る者を別の世界に誘うような不思議な魅力を湛(たた)えています。この絵を描いたのは、大正から昭和にかけて活躍した画家、川瀬巴水(1883―1957)。江戸に始まる浮世絵版画の手法を継承しながら、それをこの時代ならではの表現に発展させた「新版画」を代表する画家です。
 築地本願寺は江戸時代に海だったこの地を埋め立てて建立されました。築地という地名も、「土地を築いた」ということに由来して付けられました。その後、300年ほど時が巡った1923年、関東大震災の際に本堂が焼失。1934年に再建されました。この絵はその2年後に描かれたものです。当時巴水は日本各地の風景を独自の視点から描き、国内外で高い評価を受けるいわば人気絵師でした。「新東京百景」(Ⓐ)はシリーズとして取り組まれ、芝の大門と共に流行りの自動車が描かれるなど、東京の旬の姿を紹介することを意図されたようです。そのため斬新な建築が目を引く築地本願寺もこのように描かれたのではないでしょうか。残念ながら発表されたのは6作品のみでシリーズは未完に終わりました。

築地西本願寺 1893年(明治26年) 画像提供:国立国会図書館
築地本願寺は京都の西本願寺の別院として1617年に浅草近くに創建され、1657年の大火事、明暦の大火で焼失。写真は1679年に築地に再建された伽藍で、1923年に関東大震災で焼失した。

築地市場の初荷 東京都中央区/昭和49(1974)年1月5日
画像提供:中央区立京橋図書館
正月のマグロの初荷を前に品定が行われる。初競りは今も昔も注目の的。

Ⓑ歌川広重(二代) 江戸名勝図会 築地門跡
文久年間 画像提供:国立国会図書館

 巴水がこの絵を描いたのとほぼ時を同じくして築地に魚河岸が開かれました。魚河岸はかつて日本橋にありましたが関東大震災で壊滅したため築地に移されたのです。1935年に正式に開業し、中央市場に加え、水産物商なども周辺に軒を並べるようになり、場外市場も自然と広がり、全国各地から食品の集まる国内最大ともいえる問屋街に発展します。そして日本の食の起点として世界中に知られるようになりました。
 江戸時代にも築地は度々描かれてきました。文久年間に出された浮世絵『江戸名勝図会 築地門跡』(Ⓑ)は広重(二代)によるものです。夕暮れどきでしょうか。空が赤く染まり始めています。画面全体にどんと描かれる豪奢(ごうしゃ)な本願寺の伽藍(がらん)。門前を行き交う人々の様子からもこの界隈が栄えていたことが伺われます。本願寺建立から始まり、時代の流れの中でその様子を変えてきた築地。2018年に魚河岸は豊洲に移り、食文化の発信地としての役割を終えました。これから築地がどのようになっていくのか、その変遷を見つめるのも、一つの町の変換期と同じ時代を生きる人間の醍醐味ではないでしょうか。

林 綾野 キュレーター、アートライター

美術館での展覧会企画、美術書の執筆などを手掛ける。著作『画家の食卓』『浮世絵に見る江戸の食卓』など。現在は、2023年4月12日(水)〜7月9日(日)まで開催の「谷川俊太郎 絵本★百貨展」を手掛ける。
https://play2020.jp/article/shuntaro-tanikawa/

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