まちかど展示館 エリア特集

【連載 第一回】中央区 食の痕跡、絵画の道楽

日本橋界隈の賑わい

すしに蕎麦、鰻に天麩羅、酒に珈琲、すき焼きにカレー、飴にあんみつ…中央区には江戸から今に至る食の痕跡がたくさん散らばっています。浮世絵や日本画、洋画などアートの世界にヒントを得ながら、食の痕跡を追いかけ、絵画の道楽も満喫してみませんか。

上/「日本橋魚市繁榮圖」 歌川國安※
下/「東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図」 歌川広重※

江戸・東京 食の原点「魚河岸」

 右から威勢よく駆けてくるのは魚を担ぐ棒手振り。中央には真っ赤な蛸が入った籠を肩に乗せた男が丸いお腹を出して突っ立っています。左端には巨大な魚をぶら下げて運ぶ二人組み。勇ましく働く男たちが行き来する中、二本差しの武士や女性たち、親子連れに犬の姿もあります。歌川國安による「日本橋魚市繁榮圖」には、多くの人で賑わう日本橋・魚河岸の様子が左右いっぱいにいきいきと描き出されています。
 日本橋は江戸城の外堀と隅田川の河口を繋ぐ地点に位置するいわば江戸の水上交通の要でした。日本橋とその東に架かかる江戸橋までの北岸には「魚河岸」が広がり、江戸の人のみならず、地方から見物に訪れる人も多かったとか。浮世絵にも様々な角度から描かれているので見比べてみるのも一興です。中でもこの、「日本橋魚市繁榮圖」は、魚河岸に連なる納屋の中まで描かれている貴重な作例。斜めにしつらえた板舟の上に、ぶつ切りにされたマグロや平たいカレイなどの魚が並んで売られている様子がよくわかります。板舟の上や男が担ぐ桶の中のアワビに注目してみてください。とてつもない大きさに驚かされます。 画面の右端には小さな店が描かれていますが、よく見ると暖簾に「寿」の文字が。気軽に立ち寄って、ぱっと食べることができるおすし屋さんのようです。魚河岸で食べるおすしは格別だったことでしょう。さらに目を凝らすと暖簾の向こうに人の姿が見えますので、すでに来客中のようですね。

日本橋(魚河岸)魚市場 明治40(1907)年

魚河岸で働く男や道ゆく着物姿の女性など明治の魚河岸の様子を伝える貴重な1枚。道端に干された桶は、浮世絵に描かれているものと同じような大きさ。画中にある桶に盛られた巨大なアワビも本当に大きかったのかもしれない?!

「江戸八景 日本橋の晴嵐」 渓斎英泉※

 歌川広重の「東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図」には、富士山を背景に日本橋とその周辺が俯瞰図として描かれています。朝焼けに赤く染まる情景が美しく雄大な眺めです。一方、渓斎英泉による「江戸八景 日本橋の晴嵐」は、橋を行き交う人々をアップで描写。一人ひとりの動きや表情、荷車に積み重なる銘酒剣菱の樽、棒手振りが重たそうに運ぶ桶いっぱいの大根などディテールを見る面白さに富んでいます。
 江戸に始まった日本橋の魚河岸は、大正12年の関東大震災で壊滅的な被害に遭い、その後築地へ移ります。それまで約三百年に亘り、江戸、東京の食文化の発信地であり続けました。日本橋界隈におすし屋さんや海苔屋さんをよく見かけるのも頷けます。今ではすっかり街の様子は変わってしまいましたが、浮世絵をじっくりと見つめ、かつての風景を思い浮かべながら散歩するのもいいですね。それにしても当時の日本橋、相当に魚くさかったに違いありません。

画像提供:中央区立京橋図書館・※は国立国会図書館

林 綾野 キュレーター、アートライター

美術館での展覧会企画、絵画鑑賞のワークショップ、講演会、美術書の企画や執筆を手がける。画家の創作への想い、ライフスタイルや食の嗜好などを研究、紹介し、芸術作品との新たな出会いを提案する。絵に描かれた「食」のレシピ制作や画家の好物料理の再現など、アートを多角的に紹介する試みを行う。著作『画家の食卓』『ゴッホ 旅とレシピ』『浮世絵に見る江戸の食卓』など。近年は加古里子や安野光雅など絵本作家の展覧会なども手がける。また、NHK「趣味どきっ!」などのテレビ出演でも広く活躍。

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